1939年5月13日、ドイツの汽船「セントルイス号」はナチスの恐怖を逃れようとしてハンブルク港を出港します。
セントルイス号が題材となった「さすらいの航海」
ナチスの恐怖から逃れるユダヤ人を扱った1976年の映画「さすらいの航海」の概要です。
1939年5月13日 ドイツ、ハンブルク港を出港、ハバナへ向かう
1939年5月13日、ドイツのハンブルク港から遠洋汽船:セントルイス号がナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人約900名を乗せてキューバのハバナへ向けて出港しました。
しかし、そのキューバではユダヤ人の上陸不許可の決断を下そうとしているブルー大統領と、そうなっては困ると移民長官マヌエルに根回しをするセントルイス号本社との駆け引きがされていました。
5月27日、セントルイス号はハバナに入港するが、ユダヤ人には上陸許可は出されず、乗客の不安は増すばかりでした。というのも、もし、ドイツに戻ることになれば、強制収容所に連行されてしまうからです。
1939年6月1日 ブルー大統領セントルイス号に出港命令下す
6月1日、ブルー大統領は「セントルイス号」に対して出港命令を下しました。
セントルイス号は北に進路を変えて、アメリカのフロリダ州の海岸近くまでたどり着きます。
ユダヤ人たちは、アメリカが入国を許可してくれることに望みをかけました。
しかし、6月6日、アメリカも受け入れてくれないとわかり途方に暮れて出港することに・・向かう先は、出港したハンブルクへ・・・
船長の苦悩
ハンブルクに向かう途中、ユダヤ人たちの苦悩を理解している船長。イギリス付近を航行しているタイミングで、セントルイス号を出火させ、イギリス海岸に強引に上陸させればと考えたことも。。
そのように考えている船長のもとに1通の電報が届きます。
「オランダ、フランス、イギリスが入国許可した。」と
セントルイス号に乗っているユダヤ人の命は救われました。
だがしかし、その数か月後、ナチスが西ヨーロッパ諸国を占領したことで、イギリスに入国した288名以外のユダヤ人は犠牲に。。
なお、セントルイス号の乗客名簿をこちら(英文)のTwitterで閲覧することができます。
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まとめ
今回は1976年の映画「さすらいの航海」の概要について書きました。
令和の時代になっても、争いごとが続いています。早く平和な時代が来て欲しいものです。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。