PR

一代で億万長者となったドーナツキングがマヌケ行動で無一文に!衝撃の転落人生

ドーナツ雑記
記事内に広告が含まれています。
ぼぶたろう
ぼぶたろう

カンボジア難民がアメリカンドリームをつかみ転落するまでの実話をご紹介します。

カンボジアから無一文でアメリカに渡り、ドーナツで22億円の大金持ちになった、テッド・ノイ。

難民としてカンボジアからやってきて、成金になり、仲間のお店を支援するも、自身がギャソブルに溺れ、お金は無くなりまた無一文に・・そんな波乱な人生がドキュメント映画になっています。

オリコン洋画館 ORICON NEWSさんからの引用
スポンサーリンク

映画にもなったドーナツキング:テッド・ノイの話

ドーナツキングとなったテッド・ノイの話です。

テッド・ノイとステンガニーのロマンス

テッド・ノイとステンガニーは、高校時代に出会い、手紙のやり取りを通してお互いに好意を持つように。

貧しい家庭に育ったテッド、名門軍人の令嬢ステンガニーとの恋は叶わぬ夢だった。

そこでテッドは思い切った行動に出ることに。

厳重な警備になっているクリスティの自宅に忍び込みクリスティにプロポーズ

ベットの下で身を隠しながら、45日間一緒に暮らしていていました

混乱したカンボジアでの生活

時は、1970年代。カンボジアでの政府高官の娘スガンティーニと結婚したテッド。

このころからカンボジアの国内での争いごとが酷くなり、1975年4 月にテッドとスガンティーニは自身の家族と共に、プノンペンから脱出しました。

その際、カンボジアに置き去りにされたスガンティーニの両親は命を奪われました。

テッドとスガンティーニは3人の子供、養子縁組の甥、2人の姪を連れてカリフォルニアに到着しました。
一家はキャンプ・ペンドルトンの難民キャンプに収容されました。

テッドは、異国の地でどうやって仕事を見つけ子供を育てていくかを考えると夜も眠れませんでした。

また、スガンティーニは、お金もほどんどなくて、生きていけるか不安でした。

スポンサーリンク

難民としてはじまったアメリカでの生活

難民としてやってきたテッドは、教会の牧師の支援により、教会の用務員として働いていましたが、月に500ドルでは資金が足りず、牧師さんの了承をえて、午後6時から午後10時までは販売員として、午後10時から午前6時まではガソリンスタンドの職員として、さらに2つの仕事を得ました。

ガソリンスタンドの隣にはDKDonutsというドーナツ屋があり、人々がコーヒーやドーナツを買うのを一晩中見ていて、テッドはこれがビジネスになる事に気づきました。

そして、ドーナツチェーン店のWinchell’sで、3か月間、ドーナツ店の経営としてパンの作り方や、販売、給与計算、清掃に至るまで研修プログラムを受けました。

研修後は、カルフォルニア州のバルボアピアのお店を経営することになりました。スガンティーニは英語を話せなかったのですが、裏方でテッドのサポートをしていました。もちろん、子供達も総出でサポートします。
この頃、スガンティーニは名前を変えて、クリスティになりました。

1976年にはドーナツ店を開業し独立することに。
お店の名前は、クリスティの名前から「クリスティードーナツ」にしました。

なるべくお金を節約していた都合上、子供達は学校であまりにもお腹が空いていて他の子のお弁当をペロリと横取りすることも。。。

ドーナツ店の経費削減には徹底的でした。

当時、ドーナツを入れる箱は奇麗な白だったけど高くて、そこで業者に相談して単価が安いピンクに変えた。

このピンクのいろが飛躍のきっかけに。ピンク色の箱が話題になり、そのあとは人気アニメにドーナツ入りのピンク色の箱が登場したりしました。

経費削減とドーナツの経営のお陰で、彼はより大きなドーナツショップを購入し、低賃金でファーストフード店で働かざるを得ないカンボジア難民の家族に今まで経営していたドーナツ店をリースさせるため研修を受けさせたうえで、鍵を渡しました。

テッドは、カンボジア難民のためにリースするドーナツショップをさらに探し始めました。

1979年にポルポト政権が打倒され、カンボジア難民の波が再び押し寄せました。
テッドは難民の為に、ドーナツショップを働く場を提供することで支援しました。

そのため、カンボジア人が経営するドーナツショップがカルフォルニア複数店舗ができることにより、Winchell’sが市場を独占するまでになりました。

【カンボジア系チャイブン 】

最初はドーナツが何かさえ知らなかった、テッドが私のドーナツの先生だよ。毎日教えてもらった。

難民として米国に逃れてから10年後の1985年までに、テッドとクリスティは億万長者になり、約60のドーナツショップのオーナーになっていました。

テッドは、彼が後援した多くのカンボジア難民のために、「ドーナツキング」、とか、「テッドおじさん」として知られるようになりました。

テッドの総資産2000万ドル約28億円まで膨らみました。


夫婦はフラッシュカーを所有し、プールとエレベーター付きの100万ドルの大邸宅を購入し、休暇は海外で過ごしました。

「私はアメリカンドリームを達成しました」とテッドは言います。

スポンサーリンク

忍び寄るギャソブルという魔の手

ラスベガスに行った際、とうとうギャソブルの魔の手にテッドはハマってしまいます。

ブラックジャックで最初は数ドルで、そのうち、10ドル、20ドル・・・さらには、一晩2,000ドルを使い果たすことも。

テッドは家族と築き上げたドーナツショップのことは忘れて、ギャソブルにのめりこみました。

クリスティが、家族を連れてテッドを探すことも。テッドは見つからないようにスロット機の後ろに隠れたこともありました。

ギャソブルに負けると大暴れしたテッド。クリスティはいつもテッドを許していましたが、周りの人たちはテッドがお金を借りていたこともあり、信用をしていませんでした。

テッドはギャソブルを止めるため、タイで僧侶の修行を3か月間受けるも、またラスベガスに戻ってしまうという悪循環に。

最終的に、彼とクリスティはドーナツショップを1つしか残せず、売却することにしました。

子供に、売却金:85,000ドルを車で取りにいかせましたが、その道中、警察に連行されてしまいます。

そして、釈放された際にはその売却金は無くなっていました。

「とても悲しい話です」とテッドは言います。

スポンサーリンク

ドーナツショップを失いカンボジアに戻る

1993年、テッドとクリスティはカンボジアに戻りました。ドーナツショップは失いましたが、カンボジアで生活するお金はありました。

カンボジアでは戦後初めての民主的な選挙が行われており、彼は国を再建するために政治家として立候補したいと考えていました。

というのも政治家になればギャソブルはできないと考えたからです。

また、アメリカでドーナツで成功していた際に、ニクソン、レーガン、ブッシュといった大統領に会ったこともその契機になりました。

カンボジアは何年にもわたる争いごとのため、貧しく開発が遅れていました。
台湾の経済的成功に触発されたテッドは、海外からの投資への扉を開く「最恵国」の地位を求めて米国にロビー活動を行うことを決定しました。

テッドがカンボジアの政治に没頭している間、クリスティは孫の誕生のためにアメリカに渡しました。

だがしかし、クリスティがいなくなっている間、テッドは浮気をしていました。それがバレてクリスティは離婚を申請しました。

スポンサーリンク

再びアメリカへ

結局、2002年まで、テッドは破産し、逃げるようにアメリカのロサンゼルスに行きました。

テッドは家族を失い、人生のどん底でした。

「私は自分自身が嫌いなので、何度も命を断とうとしました。そして、ギャソブルが嫌いになり、ギャソブルのせいでクリスティをひどく扱い、子供たちをひどく扱うのが嫌になり、自分自身が嫌いになります」テッドはそう思うようになりました。

テッドは教会を点々と移動し、最終的に、高齢のカンボジア人の女性が彼のためにトレーラーハウスを提供しました。

日曜日には、息子が牧師をしている教会に行き、キリスト教への信仰を深くしました。

4年近く亡命した後、テッドはまだ無一文で、カンボジアに戻ってきました。

スポンサーリンク

現在のテッド

現在、テッドは億万長者に戻る途上の状況です。
彼は再婚し、さらに4人の子供をもうけました。末っ子の2人はまだ学校に通っています。

苦労して稼いだ現金をギャソブルで流してしまった彼に対して、カンボジアのコミュニティでは、まだ若干の恨み節がありますが、その一方で、彼は多くの人からも尊敬されています。

彼は、新しいドーナツのフレーバーを革新し発明している若い世代のドーナツメーカーとの出会いを楽しみました。

そして、彼はまた、彼が傷つけた多くの人々に謝罪しました。

彼は、現在再婚してアメリカで暮らしているクリスティと、そして彼らの成人した子供たちとの関係を修復することができました。

「彼らは私を完全に許してくれます。私は彼らに1,000回、本当にごめんなさいと言いました。彼らに会うたびに、『ごめんなさい、息子、娘、ごめんなさい、クリスティ』と言いました」

「もしあなたが時計を回してくれるなら、私はそうします。過去は変えることはできませんが、私は重い方法を学びました。」

テッドはほぼ毎日彼らと連絡を取り合っています。「私が悪者から善人に変わったので、みんなが私に会えてうれしいです。」

テッドは、彼が人生で大胆なリスクを負うようになったのと同じ性格が、ギャンブ依存症になりやすいことに気づきました。

彼は、昨年までフットボールの試合に賭けるのが好きだったと告白しているが、彼のギャソブル依存症を最終的に脱したのは、キリスト教信仰のおかげだと信じています。

「だからこそ、私は世界に『ギャソブルをするな』と言いたいのです。ギャソブルに夢中になったら、あなたの人生は終わりです.家族全員を破壊することになり、世界との関係はもう終わりです。ギャソブルは悪魔です。

しかし、結局、テッドはギャソブルに打ち勝った言います。「私は決して引き下がりません。決してあきらめません。決して降伏しません。ギャソブルでさえも。40年以上かかりました。それでも私は勝ちます。最後には、私が勝ちます。」

スポンサーリンク

映画「ドーナツキング」はどこで見れる?

映画:ドーナツキングは2021年11月12日に公開されたため、映画館ではみることができません。

2022年9月9日時点では以下の方法で視聴することができます。

アマゾン・プライムビデオ

また、DVDは☟でご購入できます。

まとめ

今回は、カンボジアから無一文でアメリカに渡り、ドーナツで22億円の大金持ちになった、テッド・ノイについてご紹介しました。

やはり、ギャソブルは怖いです。ギャソブルをやったら一生おしまいを教えてくれたと思います。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

スポンサーリンク
雑記
スポンサーリンク
ぼぶたろう流儀