高松商業野球部伝統の志摩供養とは?三塁手志摩定一さんの遺志を継ぐ | ぼぶたろう流儀
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高松商業野球部伝統の志摩供養とは?サード志摩定一さんの遺志を継ぐ

野球のフィールド雑記
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1924年に第1回春の選抜大会優勝校の高松商業。当時、三塁手だった志摩定一さん。
胸部疾患を隠し出場し続け病状が悪化し亡くなりました。その遺志を継ぐ儀式があります。

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100年以上の伝統がある名門校:香川県立高松商業高等学校

1900年(明治33年)創立した香川県立高松商業高等学校。その9年後の1909年(明治42年)に野球部が創部されました。

1924年(大正3年)第1回選抜高校野球大会(第1回選抜中等学校野球大会)で、優勝したのが、高松商業高等学校です。

その時に6番サードでフル出場したのが、志摩定一さんです。でもこの時。。肺を患っていたのです。

「自分は死んでも魂は残って、三塁を守る」の遺言を後輩へ

優勝した年の冬、志摩定一さんは、「自分は死んでも魂は残って、三塁を守る」と遺言を残し、この世を去ります。

その遺志を受け継いだ野球部の後輩たちは、悲業の最期を遂げた先輩の霊を慰めるため、「志摩供養」を行うようになりました。

その儀式とは、初回の守備につく前にベンチも含めチーム全員が三塁ベースを囲んで円陣を組み、キャプテンが口に含んだ水を吹きかけ、黙祷します。

ただ、1978年(昭和53年)この行為が「遅延行為及び、宗教的行為にあたる」と高野連から中止勧告を受けました。

でも県大会では、三塁ベースで円陣を組む儀式はしていました。

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時代が流れ「志摩供養」が2016年に形式を変えて甲子園で復活

時が流れ、2016年(平成28年)の春の選抜高校野球に高松商業高等学校が選抜されました。

守備につく前に三塁手が、脱帽とグローブをおいて、三塁ベースに手を置いて黙祷する形で復活しました。

もちろん、令和の時代になってもその伝統は引き継がれています。

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まとめ

今回は、高松商業高等学校野球部の伝統である「志摩供養」について紹介しました。

令和の時代になっても草葉の陰から志摩定一さんが高松商業高等学校野球部を見守っているのでしょうね。

高松商業高校は、第104回全国高校高等学校野球選手権大会出場に出場しました。

対戦はしませんでしたが、私の出身地である埼玉県の聖望学園高校も出場しました。

出場にあたり、寄付金について記事にしましたのでこちらも見ていただけると嬉しいです。


最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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