NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」で出演する梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役で、歌劇団をけん引するトップスター大和礼子モデル飛鳥明子を紹介します。
NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」で出演する梅丸少女歌劇団(USK)の第1期生の娘役で、歌劇団をけん引するトップスター「大和礼子」のモデル「飛鳥明子」について紹介します。
1926年(大正15年)、飛鳥明子は、日本の伝説的なレビュー劇団、OSK日本歌劇団(松竹楽劇部)のスターでした。彼女は特にトウシューズのつま先で踊る、トウダンスの名手として知られていました。
1933年(昭和8年)、松竹少女歌劇部(後の松竹歌劇団)・松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)で待遇改善を求めて発生した労働争議「桃色争議」の中心人物になります。
朝ドラ「ブギウギ」の梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役トップスター大和礼子のモデルである、OSK日本歌劇団のスター飛鳥明子とその夫についてさらに詳しく紹介します。
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大和礼子モデル飛鳥明子どんな人?Wiki風に紹介
1907年(明治40年)、開業医の娘として生まれ、高等女学校を卒業後、松竹楽劇部に入団。
クラシックバレエの才能があり、舞台に真剣に取り組む姿勢が評価されています。
1926年(大正15年)、飛鳥明子は、高校を卒業したあと、日本の伝説的なレビュー劇団、松竹楽劇部(現:OSK日本歌劇団)の1期生として入団します。
彼女は特にトウシューズのつま先で踊る、クラシックバレエのトウダンスの名手として知られていました。
バレエシューズが簡単に入手できなかったため、足先に包帯を巻いて血をにじませなたらバレエのレッスンをしていたといわれています。
足から血が出ても練習を重ね、早朝から夜中まで練習を繰り返したことでも有名でした。
練習も、集中するために他の生徒には非公開で一人で行ったといわれています。
1928年に東京浅草に開場した松竹座で、大阪より松竹楽劇部生110人が上京し、こけら落としに「虹のおどり」を上演し、大評判となりました。
その中でも飛鳥明子はその才能で注目を浴び、その後も多くの公演で活躍しました。
1933年に入ると、桃色争議と呼ばれる出来事が起こります。
世界的な不況が原因で、松竹楽劇部・団員たちの給料減額・解雇されてしまいました。
結末は争議団側が勝ちましたが、飛鳥明子さんは中心人物だっため、責任を負って退団することになっています。
松竹楽劇部を退団した後、飛鳥明子さんは結婚しています。結婚相手は宝塚音楽学校のギタリストだと言われていわれています。
1937年(昭和12)に29歳の若さで亡くなります。
彼女の活躍はOSK日本歌劇団の黄金期を築く一翼を担い、その後のレビュー劇団の発展に大いに貢献しました。飛鳥明子の名は今もOSK日本歌劇団の歴史に刻まれ、彼女が築いた伝説は今後も色褪せることなく語り継がれるでしょう。
飛鳥明子は、その美しさと才能で観客を魅了しました。彼女のパフォーマンスは常にエネルギッシュで情熱的であり、観客は彼女がステージに立つたびに息を呑むほどでした。彼女のダンスは繊細さと力強さを兼ね備えており、その動き一つ一つから彼女の情熱と才能が伝わってきました。
また、飛鳥明子はOSK日本歌劇団のメンバーとしてだけでなく、個人としても多大な影響を与えました。彼女は自身のキャリアを通じて、自分自身を表現することの大切さや、自分自身を信じることの重要性を常に示していました。これらのメッセージは多くの人々に影響を与え、彼女が築いたレビュー文化は今もなお多くの人々に愛されています。
飛鳥明子の功績は数え切れないほどありますが、彼女が最も誇りに思っていたのは、自分自身が愛することで他人を喜ばせることができたことだったと言われています。彼女の情熱と才能は今もなお多くの人々に影響を与えており、その名前はレビュー界の伝説として語り継がれています。
待遇条件の改良要求の「桃色争議」の中心人物の一人の飛鳥明子
1933年(昭和8年)、飛鳥明子は「桃色争議」の中心人物となります。
これは、松竹少女歌劇部(後の松竹歌劇団)・松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)で発生した労働争議で、飛鳥明子が争議団長に選ばれました。
彼女らは舞台をサボタージュし、笠置シズ子を含め70余名の部員が高野山に立てこもりました。
この争議は、劇団員たちが待遇改善を求めて立ち上がったもので、その背後には彼女たちの芸術への情熱と、公平な待遇を求める強い意志がありました。
飛鳥明子のリーダーシップとその時代の社会状況が絡み合い、「桃色争議」は日本の劇団史における重要な出来事となりました。
この出来事は、芸術家たちが自身の権利を主張し、社会的な変革を求めるためにどこまで闘えるかを示す貴重な例となっています。
桃色争議が解決された後、劇団員たちは何をしましたか?
「桃色争議」が解決した後、劇団員たちは劇団活動を再開しました。
争議は劇団員たちが待遇改善を求めて立ち上がったもので、その結果、週休制と最低賃金の設定に成功しました。
これは劇団員側の勝利となり、劇団の待遇改善につながりました。また、この出来事は芸術家たちが自身の権利を主張し、社会的な変革を求めるためにどこまで闘えるかを示す貴重な例となりました。
その後、劇団員たちは再び舞台に立ち、観客を楽しませるための活動を続けました。この争議は日本の劇団史における重要な出来事となり、その後の劇団の発展に大きな影響を与えました。
OSK日本歌劇団飛鳥明子のモデルになった大和礼子を演じる「蒼井優」
大阪の梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役で、歌劇団をけん引するトップスター
福来スズ子の憧れの先輩であり、大和礼子から踊りや歌への大切な精神を学び継承していく。
大和礼子は、ふわっと包み込みながらも言いたいことはきちんと伝えます。
ラインダンスを教える役なのですが、ずっと踊っていなかったので大変だったとのことです。
朝ドラ「ブギウギ」大和玲子と花田鈴子(芸名:福来スズ子)の出会い
花田鈴子の花咲少女歌劇団不合格が分かった次の日、昼過ぎになっても起きようとしなかった鈴子の所に梅吉が急いでやってきた。
「鈴子!これや!これ! 梅丸や!梅丸少女歌劇団、略して U・S・Kや、昨日お前においだされたあと映画館でみたんや、これから見に行くで!」
鈴子は梅吉に多くの映画館や寄席が集まる大阪最大の繁華街の道頓堀に連れられる。
道頓堀にある劇場、梅丸少女歌劇団は道頓堀の劇場で映画の上演の間にレビューを披露する新しい劇団です。映画「乱闘の巷」全巻に続き、歌劇団のレビューショー、耳に届くは浄土の楽の眼に演じたるは泰西の妙技、題して「胡蝶の舞」が始まった。
レビューショーはきらびやかな衣装を着て踊る女性が登場し、それを見ていた鈴子の目が途端に輝きだす。そして体中にサブイボが立っていた
鈴子にバレエのやるきを起こさせ大和礼子は布を渡す
一人自主連している憧れの先輩である大和礼子に声を掛けることができた鈴子。
鈴子の足のマメをみた大和は、バレエの練習に足首に巻く布切れを渡しバレエは反復だといいます。
バレエが苦手だった鈴子は、大和からもらった布切れを巻くだけで、少しだけ大和さんに近づいたきがして頑張れる気がした。
そして、その布切れを巻いて練習するとどんどん上手になった・・きがしたけど、どんなに怒られても頑張れるきぃがした鈴子でした。
桃色争議でストライキを決行
会社との交渉が決裂に終わり、山寺でストライキを決行。
ストライキ最中、過去に両親に反対されて梅丸社長に拾ってもらったことをスズ子に話す。
ピアニストの股野もやってきて大和に告白をするが「今は・・・それどころじゃないので・・」といい、オーケストラに挑戦するつもりの股野に対してエールを送った。
ストライキの結果、団員側の要求は受け入れられたが、責任をとって大和と橘アオイが責任をとって辞めることになった。
梅丸少女歌劇団の退団後は・・結婚し夫は誰?
大和礼子はピアニストの股野と結婚し、踊りとピアノの教室で生計を立てていた。
時が流れ、大和礼子と股野の間に子供が生まれるが、その直後に大和礼子が亡くなってしまう。(モデルになった飛鳥明子も29歳で亡くなりました。)
これをきっかけに大和礼子みたいなスターになりたいと思っていた福来スズ子は東京行きを決意します。
朝ドラ「ブギウギ」花田鈴子役:趣里
大阪の銭湯の看板娘として花田鈴子は育ちます。
幼い頃から歌ったり踊ったりするのが好きが講じて、道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)に入団します。
歌の才能が出てきた花田鈴子は歌手という道を進んでいき、のちに戦後のスターとなります。
花田鈴子のモデルは笠置シヅ子です。
笠置シヅ子については
>>>福来スズ子のモデル笠置シヅ子の父母や夫や子供と経歴は?
をご覧ください。
朝ドラ「ブギウギ」物語は?
大正時代の末期、大阪の下町にある小さな銭湯の看板娘、花田鈴子は、歌って踊ることが大好きな明るく純真な女の子です。小学校を卒業した際、鈴子は、「歌と踊りで人々を笑顔にしたい」という思いを抱き、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団しました。一生懸命に稽古に励んだ鈴子は、急速に成長し、抜群の歌唱力で才能を開花させていきます。
昭和13年、鈴子は上京します。そこで、人気のある作曲家と出会い、鈴子の運命が大きく変わります。鈴子は作曲家の指導を受けることによって、「スウィングの女王」として知られる人気歌手になっていきます。
しかし、戦争が勃発すると、鈴子の状況は一変します。鈴子の歌っていた曲が「敵性音楽」と見なされ、彼女の舞台での歌や踊りは厳しく制限されてしまいます。さらに、鈴子の弟は徴兵され、ちょうどその頃、鈴子の母も病気で亡くなってしまいます。
悲劇が重なり、悩む鈴子の前に、とある青年が登場します。ふたりは恋に落ちて、やがて結婚を誓い合います。しかし、青年の家族は強く反対し、結婚は中々、実現しませんでした。そののち戦争が終わり、鈴子は青年の子を授かります。しかし、青年は病に倒れてしまいます。会うことができず、結婚も果たせぬまま、別れることとなりました。数日後、鈴子はひとりで娘を出産します。
鈴子は娘を育てながら一人で舞台で歌い続けます。そんな中、生まれたのが「東京ブギウギ」という曲です。明るく飾らずに、全身で歌うことが鈴子の真骨頂でした。戦後の傷ついた日本に、彼女の歌声が響き渡ります。鈴子の歌声に合わせて笑顔で歌い踊る人々が全国に広がっていきました。鈴子は「ブギの女王」と称され、日本の大スター歌手への階段を駆け上がっていきます。
朝ドラ「ブギウギ」の吹き出しあらすじネタバレ紹介
当サイトでは、朝ドラ「ブギウギ」の吹き出しであらすじをネタバレ紹介しています。
【ブギウギ今後のあらすじを吹き出しで紹介!ネタバレ一覧!】
をご覧ください。
大和礼子モデル飛鳥明子どんな人?OSKスターと桃色争議まとめ
NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」で出演する大和礼子モデル飛鳥明子を紹介しました。
花田鈴子のモデルになった笠置シヅ子については
>>>福来スズ子のモデル笠置シヅ子の父母や夫や子供と経歴は?
をご覧ください。
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