2023年度前期 連続テレビ小説「らんまん」の終焉の地が、現在、牧野記念庭園となっています。今回は大泉学園駅近く、徒歩アクセス可能な牧野記念庭園について紹介します。
西武池袋線大泉学園駅近く、東京都練馬区東大泉にある牧野記念庭園は面積 2,576.22㎡(約672坪)とサッカーコートの半分にも満たない広さですが、NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」の主役である槙野万太郎のモデル、日本植物学の父、「牧野富太郎博士」の終の棲家である自宅跡地にあります。
朝ドラの主人公:槙野万太郎のモデル牧野富太郎博士の終の棲家の跡地にできた、牧野記念庭園には、いつ行っても見頃の花を観ることができる庭園があったり、牧野富太郎博士の足跡や実際に使った道具や植物画を記念館(展示室)で展示されています。
練馬区立牧野記念庭園の学芸員で牧野富太郎研究の第一人者である田中純子氏による最新の牧野富太郎伝はこちら↓↓
・2023年度前期NHKの連続テレビ小説「らんまん」に興味がある方
・牧野富太郎博士について知りたい方
・練馬区大泉学園の名所を知りたい方
2023年度前期 連続テレビ小説:朝ドラ「らんまん」
2023年度前期 連続テレビ小説「らんまん」は、春らんまんの明治の世を 天真らんまんに駆け抜けた―ある天才植物学者の物語です。
のちほど、天才植物学者の詳細は後述しますが、モデルとなったのは牧野富太郎博士です。
牧野富太郎博士は、文久、慶応、明治、大正、昭和と5つの時代を激動の時代の中、ひたすら愛する植物と向かいあってきた博士です。日本の植物学の父と呼ばれています。(ぼぶたろうは、昭和、平成、令和だからマダマダ甘いかな?長生きできればよいのだが・・・)
スタートは高知からそして、花の都である東京へと舞台が変わります。
ドラマはSDGsにもあるサステナビリティの観点から人間と植物がどう向き合うのかという観点から、牧野富太郎博士の思想や喜びと感動の人生を通して、現代の我々に前進させるドラマになります。
なおドラマ自体は、登場人物や団体名を一部変えます。
そのため、ドラマの中では「槙野万太郎(まきの まんたろう)」が主役となります。
主役を演じるのは、ぼぶたろうと同じ埼玉県出身の「神木隆之介(かみき りゅうのすけ)」さんです。
ドラマの執筆は、井上ひさしさんに師事したこともある「長田育恵(おさだ いくえ)」さんです。
連続テレビ小説「らんまん」のキャストは?
東京編の出演者・キャストは以下の通りです(敬称略)
- 槙野 万太郎(神木 隆之介):酒蔵「峰屋」の一人息子、のちに、「日本の植物学の父」と称される
※槙野万太郎のモデル牧野富太郎博士の詳細な経歴はこちらを参照ください。 - 槙野 寿恵子(浜辺 美波):母親とお菓子屋を営んで万太郎と出会い結婚
- 竹雄(志尊 淳):万太郎の生家の酒蔵「峰屋」の番頭息子
- 槙野 綾(佐久間 由衣):万太郎の姉。しっかり者で万太郎を気にかけている。
- 幸吉(笠松 将):幼い頃から「峰屋」に出入りしていて毎年秋から春に酒つくりに来る
- たま(中村 里帆):万太郎が幼いころから「峰屋」に貢献している働き者
- 槙野 喜江(島崎 和歌子):自由民権運動を支持している「民権ばあさん」
- 池田 蘭光(寺脇 康文):学問所「名教館」の学頭。万太郎の人生の師匠
- 槙野 ヒサ(広末 涼子):万太郎の母、病弱ながら万太郎を授かった。万太郎を暖かく見守る
- 槙野 タキ(松坂 慶子):万太郎の祖母「峰屋」を切り盛りし曲がった事が許せない強い女性
- 西村 まつ(牧瀬 里穂):寿恵子の母。元有名芸者で根津で和菓子屋「白梅堂」を営む
- 笠崎 みえ(宮澤 エマ):寿恵子の叔母。新橋の料理屋女将。寿恵子が玉の輿に乗れる様世話を焼く
- 阿部 文太(池内 万作):白梅堂の無骨な菓子職人
- 倉木 隼人(大東 駿介):上野戦争の生き残り、酒と賭け事におぼれ万太郎が住む十徳長屋に住む
- 倉木 えい(成海 璃子):戦で倉木を看病したことを契機に結婚。万太郎たちの食事の世話をする
- 及川 福治(池田 鉄洋):十徳長屋の住人。魚の干し物を売る。娘・小春と二人暮らし
- 江口 りん(安藤 玉恵):十徳長屋の家守。正直者で長屋住人の相談役
- 宇佐美 ゆう(山谷 花純):十徳長屋の住人、小料理屋の女中、訳アリで北陸能登から上京
- 広瀬 祐一郎(中村 蒼):名教館時代の万太郎の学友、北海道で土木を学び鉄道に従事している
- 野田 基善(田辺 誠一):万太郎が憧れる植物学者のひとり。万太郎の為、東大への紹介状を書く
- 里中 芳生(いとうせいこう):万太郎が憧れる植物学者のひとり。万太郎が模写した「植物図」作者
作:長田育恵
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん「愛の花」
語り:宮﨑あおい
出演:神木隆之介、浜辺美波 ほか
植物監修:田中伸幸
長田さんのセリフ量がめちゃくちゃ多くて・・・覚えられないかもしれません。
でも、良い言葉、素敵な言葉を誰でもいいから言わすのではなく、各キャラクターの見てきたもの、歩んできた人生を踏まえたうえで、刺さる言葉がたくさんあるのがすごいと思いました。
キャラクターや役者にすごく寄り添ってくださっていることを感じながら演技しました。
毎回毎回ごめんなさいと言いながら「でも書いて」いました。
私がセリフで伝えたい狙いはココですと神木さんたちはちゃんと理解してくれる。
こうしたらもっとよくなるのではないかとアイデアを膨らましてくれました。
長田さんの台本は骨太でどっしりした台本を書かれる。
「許さんぞね」も含め撮り終わった後、送り返し(収録映像の画面)のチェックをするのですが、「大変だけどいい本よね~」と思いながら演じさせていただきました。
出演者やキャストが凄いですね・・・長屋・・とうことは東大泉の出番なしかしら・・長屋で終えないで・・・東大泉はラスト1週間のみというオチで。。
牧野富太郎博士について
牧野富太郎博士は94年の生涯において、収集した標本は約40満点、所蔵は約4万5千冊になります。
1,500種類以上の植物を発見、命名し、日本の植物分類学の礎を作った一人として有名です。
昭和15年(1940年)に刊行された「牧野日本植物図鑑」は、現在まで改定を重ね植物図鑑として広く親しまれています。
牧野富太郎博士の略歴を紹介します。
慶応元年(1865年) 父、佐平病気で亡くなる。
慶応3年(1867年) 母、久壽病気で亡くなる。祖父母浪子の手で育てられる。
明治5年(1872年) 土居謙護の寺子屋で習字を学ぶ。
明治7年(1874年) 学校令により佐川小学校開校で入学。
明治9年(1876年) 小学校の授業に飽き足らず自主退学。
明治10年(1877年) 佐川小学校授業生(臨時職員)となる。
明治12年(1879年) 授業生を辞めて高知市の五松(ごしょう)学舎に入塾。
明治13年(1880年) 高知中学教員長沼小一郎を知り、欧米の近代植物学の影響を受ける。
明治17年(1884年) 上京し、東京大学理学部植物学教室へ出入りする。
明治22年(1889年) 日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけて発表する。
明治26年(1893年) 帝国大学理科大学助手となる
明治33年(1900年) 「大日本植物志」第一巻第一集刊行
明治45年(1912年) 投稿帝国大学理科大学講師となる
大正5年(1916年) 「植物研究雑誌」を自費創刊。
大正15年(1926年) 東京府北豊島郡大泉村上土支田557に家を構える(現在の牧野記念庭園)
昭和2年(1927年) 理学博士の学位を受ける
昭和3年(1928年) 壽衛夫人永眠、スエコザサを命名
昭和12年(1937年) 朝日文化賞を受ける
昭和14年(1937年) 東京帝国大学理学部講師を勤務47年で辞任
昭和15年(1940年) 「牧野日本植物図鑑」刊行
昭和26年(1951年) 第一回文化功労者となる
昭和28年(1953年) 東京都名誉都民となる
昭和32年(1957年) 満94歳永眠
没後従三位勲二等旭日重光章および文化勲章が授与される
なお、晩年、博士が危篤に際は、マスコミが自宅前にテントを張って1カ月間張り込み、日本の国民的スターの様な扱いで病状を伝えていたとのことです。
詳しい経歴については、【槙野万太郎のモデル牧野富太郎博士の父母や妻や子供と経歴は?】を参照してください。
大泉学園の自宅跡地にできた牧野記念庭園に行ってみた
牧野記念庭園について
牧野記念庭園は、植物学者牧野富太郎博士が大正5年から、逝去されるまでの約30年を過ごした自宅の住居と庭の跡地です。
牧野富太郎博士は、武蔵野の雑木林の中から植物を採取してきたり、知人から取り寄せた植物を上、自身の庭を「我が植物園」として大切に育んできました。そして、しばしば庭に座っては、植物の観察や採集をして、庭と共に晩年を過ごしました。
牧野富太郎博士がこよなく愛した地を一般に公開し、博士の儀業を末永く後世に伝えるため、昭和33年に庭園として開園しました。
園内には、スエコザサ、センダイヤサクラ、ヘラノキなど博士にゆかりの深い植物を含め300種類以上の植物が生育するほか、博士の使っていた書屋があり、博士の在りし日の面影を令和の現在に伝えています。
植物を観賞する際のワンポイントアドバイス
牧野記念庭園内の植物の一部には、表札が掲示されています。
- 和名
- 学名
- 科
- 牧野富太郎博士が植栽したか否か
- 説明のQRコード(写真はあなたに来てほしいので白抜きしました)
この表札に注目してほしいのは「牧野富太郎博士が植栽したか否か」という点です。
牧野富太郎博士が植栽した植物については、「の」を巻いた博士の印章の記と博士植栽と記載されています。
牧野富太郎博士が植栽した植物と印があれば、昭和初期からあって牧野富太郎博士も観たのだな~と実感できますよ。
上の写真で左側にある木が後付けで植えた染井吉野、中央のY字になっている木が牧野富太郎博士も目にした仙台屋の桜になります。
ちなみに、この仙台屋桜は牧野富太郎博士の高知の知人から取り寄せた木と言われています。
高知県からやってきたヒメアジサイ
牧野記念庭園には300種類以上の植物が生育していますが、「牧野富太郎生誕160年記念事業」の一つとして2022年5月に高知県立牧野植物園に保存されているヒメアジサイの苗を、牧野記念庭園に里帰りさせる記念植樹が行われました。
ちなみに、その植樹前まではヒメアジサイがありませんでした。
このヒメアジサイ、牧野富太郎博士が名付けたアジサイなのです。
牧野記念庭園開設以降、ずっと、肝心のヒメアジサイが無かったので、本当に戻ってきてよかったです。
(補足:2023年も花をつけたのですが・・一つしか花をつけなかったようです・・土地が合わなかったのでしょうか・・バス通りが近くにあり空気が悪かったのでしょうか・・)
ヒメアジサイに限らず、多種多様な植物が育生されていますが、とくに春になると、様々な種類の桜を見ることができます。詳しくはこちらの記事を参照ください。
牧野記念庭園には約300種類の植物をみることができます。桜の一種のセンダイヤサクラ、ヘラノキ、そして、妻:壽衛を偲んで命名したスエコザサがあります。それらの植物の中から四季折々の選りすぐりの花を牧野記念庭園の見頃は?富太郎も見た四季折々の実風景!にまとめました!
記念館(展示室):採取道具・植物標本・日本植物図鑑・牧野日本植物図鑑・牧野植物混混録等の展示
記念館は牧野記念庭園の中で、一番大きい建物です。
記念館には、牧野富太郎博士の遺品や関連資料が展示されています。
なお、剪定バサミについては一般向けに剪定ばさみ牧野エディションとして販売されています。
博士が逝去されるまで暮らしていた邸宅の跡地に建てられました。
記念館には常設展示室と企画展示室があります。
常設展示室は、解説パネル、博士の採集道具や描画道具、執筆した書物や描いた植物図が展示されています。
恐らく物資も少ない時代ですから採取道具は大切にされていたのでしょうね。
植物図を描くための描画道具や印なども展示されています。
牧野富太郎博士が手掛けた「日本植物図鑑」、「牧野日本植物図鑑」、「牧野植物混混録」も展示されています。
「牧野日本植物図鑑」については、この敷地内に建てられていたご自宅の書斎で書かれていたとみられています。
収集した植物標本の中にはご自宅の庭で採取されたものもあります。
「白浜ゆ海の彼方ハいづくかも 果して知られぬ波のうねうね」 結網学人 牧野富太郎 九十一歳
牧野富太郎博士が晩年に書いた色紙も展示されています。
さらに、展示物の下には引出しがあり、それをひきだすと・・・
牧野富太郎博士が実際に採取し標本にした植物をみることができます。中には100年以上も前の標本があります。
企画展示室は年に3~4回、博士に関する展示が行われます。
2022年春に佐々木香菜子氏の牧野富太郎生誕160年記念特別展の企画展示「植物に彩られた我が人生~牧野富太郎を描いたアート絵本「まきのまきのレター」~」も併せてご覧ください。
書屋展示室:鞘堂(さやどう)
書屋展示室は、牧野富太郎博士の書斎と書庫の一部が保存されています。
博士は晩年、庭で植物の観察を行い、この書斎で著書の執筆や植物の描画をしていました。
博士のパネルが設置されていますので、実際に博士が作業している風景が想像できます。
「今扱っているのは何の植物ですか?」と声をかけたくなりますね。
なお、実際の書斎は足の踏み場がないほど書籍が積まれていたとのことで、「牧野富太郎生誕160年記念事業」の一つとして、令和5年4月3日に、書籍が積まれた状態を再現しました。
所蔵が約4万5千冊だから、それは置き場がないですよね。
散らかっているのはあまりよろしくないですが、この書斎での「散らかり」は再現してほしいですね。
このような感じに再現することを期待します。
繇條書屋(ようじょうしょおく)の再現完了
2023年4月3日、書屋展示室が繇條書屋(ようじょうしょおく)として再現されました。
足の踏み場が無いほどギッチリ物が置いてありますね。
移動が大変です。再現前のガラガラの状態と比べて全然違いますね。
説明書きの補足があるので、分かりやすいですね。
お披露目から数日後に撮影したため、経年劣化感が一部ないかもしれませんが、良く再現しているなと思います。
書籍が沢山積まれています。ちょっと大きめの地震がきたら崩れ落ちそうですね・・
ちなみに、古い書籍の様に見えますが当然レプリカです。
でも全然レプリカ感がありません。彩色も色鉛筆などを用いているのですが、全く違和感がありません。
管理棟:見頃の花の情報を知る重要な場所です!
管理棟には、受付があります。蚊が発生する時期は、虫よけスプレーを貸してくれます。
また、受付の脇には、庭園内で花や果実や種子が見頃の植物とその場所を案内しています。
上の写真は1月に撮影したのですが、冬に花をつける植物もあるのです。
いつ行っても、何らかの花が咲いています。
また、視聴室もあり、牧野富太郎博士に関する映像や書籍を閲覧することができます。
絵本:まきのまきのレターもありますね。
まきのまきのレターについては、「植物に彩られた我が人生~牧野富太郎を描いたアート絵本「まきのまきのレター」~」をごらんください。
牧野記念庭園ができる前の牧野富太郎博士の終の棲家の様子は?
牧野記念庭園ができる前は牧野富太郎博士のご自宅でした。
当時の様子を見てみましょう。
4つの建物がある牧野富太郎博士のご自宅
牧野富太郎博士のご自宅は木造2階建ての住居と21.75坪の書庫、35.75坪の標品館があります。
622.24坪の敷地には391本の樹木がありました。もともとは借地であったため、土地の所有者へと変換された住居以外の土地が庭園として整備されました。
そして昭和38(1958)年に牧野記念庭園として一般公開されるようになりました。
標品館
建物の形から標品館はジオラマの左側にある建物ですね。
標品館の中には牧野富太郎博士の手掛けた植物の標本が山積みされていますね。
バラバラにならない様、紐で縛っています。
山積みされた標本を管理する牧野富太郎博士です。今にも標本が崩れそうですね。
自宅
二階建ての建物が1棟、平屋が2棟あります。
牧野富太郎博士の家族に関しては「槙野万太郎のモデル牧野富太郎博士!日本の植物学の父の妻や子と経歴」を参照してください
繇條書屋(ようじょうしょおく)がある2階建ての建物
二階建ての建物には、牧野富太郎博士の書斎がありました。
書斎は「繇條書屋(ようじょうしょおく)」と書かれた額が鴨居にかけられていました。
この額は日本で最初の理学博士となった伊藤圭介氏が書いたものです。
繇條とは、草が生い茂るという意味があり、この書斎自体がまさに書籍や標本や古新聞で生い茂っていました。
ただ、それらの重さで2階に穴が開いてしまうほどの量になったため、1階に「繇條書屋」が移動することになりました。
「繇條書屋」では、牧野富太郎博士が朝から晩まで書斎でずっと研究を行っていました。
楠瀬日年氏による「繇條書屋ルポ」
書斎研究家として知られている楠瀬日年氏が昭和14(1939)年に、牧野富太郎博士の書斎を訪ねた際のルポです。
現在、牧野記念庭園にある「繇條書屋」は1階に移動した後の書斎になりますが、「繇條書屋ルポ」はその前の2階にあった際の「繇條書屋」をこのルポにて書斎を描き起こしました。
まさしく、草木が生えてくるような書斎を垣間見ることができます。
改装工事中の書斎のパネル:壽衛の想いを描いた植物園(仮パネル)
2023年2月4日展示パネルが遠目からみることができました。
理想の植物園の姿を公開前に知ることができました。
現在展示されているものは修正されているようで、ちょっとデザインが違います。(ラッキー)
牧野記念庭園で販売しているグッズは?
牧野記念庭園では、絵葉書や牧野富太郎博士の植物図のレプリカ等のグッズを販売しています。
牧野記念庭園のグッズについてはこちらをごらんください。
牧野記念庭園の運営情報・アクセス
住所:練馬区東大泉6-34-4
開園時間:午前9時~午後5時※特別展は午前9時30分~午後4時30分です。
休園日:毎週火曜日(火曜日が祝休日にあたる場合は、その直後の祝休日でない日)
年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:無料
アクセス:西武池袋線大泉学園駅(南口)徒歩5分
大泉学園駅から牧野記念庭園まで、「車椅子でも通行可能なルート」も併せてご覧ください。
自転車でお越しの際は、入口に自転車を止めることができます。
このスペースが満杯の時は、記念館裏の臨時駐輪場に停めます。
トイレはベビーベッド・車椅子・オストメイトに対応しています
トイレは男子用、女子用、多目的トイレがあります。
多目的トイレは、ベビーベッドがあります。
その奥には、車椅子対応トイレがあります。
オストメイトにも対応しています。
まとめ
今回は牧野記念庭園を中心に
- 2023年度前期 連続テレビ小説「らんまん」
- 牧野富太郎博士について
- 牧野記念庭園に行ってみた
について、記述しました。牧野記念庭園は大泉学園駅から近い場所にあります。
日本の植物学の父の偉業に触れてみてはいかがでしょうか。
仮に、牧野富太郎博士がタイムスリップして令和の時代の牧野記念庭園に訪れたら、庭園以外の場所が植物がなく、建物だらけの風景をみてびっくりするかもですね。
大泉学園にある牧野記念庭園の記念館にある掲示物を参考・引用させていただきました。
記事を作成するにあたり、個人ブログでの掲載可のご承諾をいただき感謝申し上げます。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。