2023年度後期 連続テレビ小説「ブギウギ」の今後のあらすじを吹き出しでネタバレしています。その一覧と福来スズ子について紹介いたします。
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福来スズ子のモデルになった笠置シヅ子は、1914年に香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)黒羽生まれ。
敗戦後に「買い物ブギー」や「東京ブギウギ」が大ヒットし、美空ひばりが登場するまで、ブギの女王と呼ばれていました。
NHKの朝ドラ「ブギウギ」において、花田鈴子、芸名:福来スズ子役は趣里さんが演じます。
福来の名前の由来は、第2週の週タイトルである「笑う門には福来る」からきており母ツヤのアイデアです。
今回は福来スズ子のモデルになった笠置シヅ子の経歴を紹介します。
ブギウギの主人公:福来スズ子傑作集↓↓
・2023年度後期NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」をネタバレを知りたい方
・福来スズ子のモデルとなった笠置シヅ子の経歴について知りたい方
ドラマの内容そのままに、1月からの放送内容について
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ブギウギ今後のあらすじを吹き出しで紹介!ネタバレ一覧!
当サイトでは、各週のネタバレあらすじを紹介しています。
ブギウギ週タイトルリスト!ネタバレ一覧リンク!
- 第1週「ワテ、歌うで!」
- 第2週「笑う門には福来る」
- 第3週「桃色争議や」
- 第4週「ワテ、香川に行くで」
- 第5週「ほんまの家族や」
- 第6週「バドジズってなんや?」
- 第7週「義理と恋とワテ」
- 第8週「ワテのお母ちゃん」
- 第9週「カカシみたいなワテ」
- 第10週「大地の弟」
- 第11週「ワテより十も下や」
- 第12週「あなたのスズ子」
- 第13週「今がいっちゃん幸せや」
- 第14週「戦争とうた」
- 第15週「ワテらはもう自由や」
- 第16週「ワテはワテだす」
- 第17週「ほんまに離れとうない」
- 第18週「あんたと一緒に生きるで」
- 第19週「東京ブギウギ」
- 第20週「ワテかて必死や」
- 第21週「あなたが笑えば、私も笑う」
- 第22週「あ~しんど♪」
- 第23週「マミーのマミーや」
- 第24週「ものごっついええ子や」
- 第25週「ズキズキするわ」
- 第26「世紀のうた 心のうた」
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朝ドラ「ブギウギ」物語は?
大正時代の末期、大阪の下町にある小さな銭湯の看板娘、花田鈴子は、歌って踊ることが大好きな明るく純真な女の子です。小学校を卒業した際、鈴子は、「歌と踊りで人々を笑顔にしたい」という思いを抱き、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団しました。一生懸命に稽古に励んだ鈴子は、急速に成長し、抜群の歌唱力で才能を開花させていきます。
昭和13年、鈴子は上京します。そこで、人気のある作曲家と出会い、鈴子の運命が大きく変わります。鈴子は作曲家の指導を受けることによって、「スウィングの女王」として知られる人気歌手になっていきます。
しかし、戦争が勃発すると、鈴子の状況は一変します。鈴子の歌っていた曲が「敵性音楽」と見なされ、彼女の舞台での歌や踊りは厳しく制限されてしまいます。さらに、鈴子の弟は徴兵され、ちょうどその頃、鈴子の母も病気で亡くなってしまいます。
悲劇が重なり、悩む鈴子の前に、とある青年が登場します。ふたりは恋に落ちて、やがて結婚を誓い合います。しかし、青年の家族は強く反対し、結婚は中々、実現しませんでした。そののち戦争が終わり、鈴子は青年の子を授かります。しかし、青年は病に倒れてしまいます。会うことができず、結婚も果たせぬまま、別れることとなりました。数日後、鈴子はひとりで娘を出産します。
鈴子は娘を育てながら一人で舞台で歌い続けます。そんな中、生まれたのが「東京ブギウギ」という曲です。明るく飾らずに、全身で歌うことが鈴子の真骨頂でした。戦後の傷ついた日本に、彼女の歌声が響き渡ります。鈴子の歌声に合わせて笑顔で歌い踊る人々が全国に広がっていきました。鈴子は「ブギの女王」と称され、日本の大スター歌手への階段を駆け上がっていきます。
ブギウギのドラマガイド↓↓
朝ドラ「ブギウギ」相関図・キャスト
朝ドラ「ブギウギ」の相関図です。
キャストの詳細については【ブギウギキャスト相関図一覧】をご覧ください。
福来スズ子のモデル笠置シヅ子のプロフィール
笠置シヅ子は、日本の歌手、女優であり、1914(大正3年)年8月25日に生まれ、1985(昭和60年)年3月30日に亡くなりました。
笠置シヅ子は、ムード歌謡、流行歌、ボーカルジャズなどのジャンルで活躍し、多くのアルバムをリリースしています。また、彼女は映画やテレビドラマにも出演しています
【芸名】:笠置シヅ子
【別名】:三笠 静子、笠置 シズ子
【本名】:亀井 静子
【生年月日】:1914(大正3年)年8月25日
【没日】:1985(昭和60年)年3月30日(70歳)
【出生地】:香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)
【代表作】:東京ブギウギ
【紅白出場回数】:4回
福来スズ子のモデル笠置シヅ子の父母は?
父親は砂糖業を営む家の息子で郵便局員:三谷陳平(1890~1915)、母親は谷口鳴尾で、三谷家に和裁見習いとして同居していましたが、三谷家の反対で結婚を認めてもらえませんでした。
笠置シヅ子が生まれた後すぐに、父親の三谷陳平が亡くなりました。
母親は、笠置シヅ子を連れて実家のある大阪に帰省しますが、母親の母乳の出がわるく、米・薪炭商の妻である亀井うめからもらい乳をしていました。亀井うめには実子の八郎がいました。
のちに、笠置シヅ子は、亀井うめの養子になります。そのため、本名も「亀井」を名乗っています。
養父は亀井音吉です。笠置シヅ子がこのことを知ったのは、彼女が17歳の時になります。その時に実母である谷口鳴尾に実際に会いに行きますが、会ってもともに親子と名乗らず、その後二人は会うことはありませんでした。
福来スズ子のモデル笠置シヅ子の夫は?
笠置シヅ子には夫がいなかったものの、交際していた男性がいました。
笠置シヅ子が交際していた男性は、吉本興業の創業者である吉本せいの子供である吉本穎右(えいすけ)です。(※泰典から途中で穎右に改名)
吉本穎右は、大正12年(1923年)10月26日に生まれ、笠置シヅ子の9歳年下で、早稲田大学に通っていました。
笠置シヅ子と吉本穎右は知り合ってすぐに交際し、妊娠をします。
吉本穎右は、幼いころから病弱であり、奔馬性(ほんばせい)結核を発症し、笠置シヅ子のお腹の子を残したまま1947年(昭和22年)5月19日に逝去する。
赤ちゃんが男の子だったら「穎造」、女の子なら「ヱイ子」と名付けて欲しいが吉本穎右の遺言でした。
福来スズ子の夫のモデル吉本穎右については、
【笠置シヅ子の夫は誰?村山愛助のモデル!吉本穎右!】
をご覧ください。
福来スズ子のモデル笠置シヅ子の子供は?
吉本穎右が逝去してから、数日後に娘:亀井エイ子が生まれます。
身寄りが誰もいない状態だった笠置シヅ子は吉本穎右が着ていた丹前を握りしめながら亀井エイ子を出産します。
エイ子は、吉本穎右の遺言で名付けられ、吉本穎右が亡くなったこともあり、認知することもができず私生児となります。
なお、亀井エイ子さんは一般人なので公には何をされているかは明らかにはなっていません。
一説には、フラワーアレンジメントの仕事をしていたと言われています。
くわしくは
【亀井エイ子の現在は?笠置シヅ子の娘と愛子の子役を紹介!】
をご覧ください。
福来スズ子のモデル笠置シヅ子の経歴は?
笠置シヅ子の経歴です
- 1914(大正3年)年8月25日 香川県大川郡相生村(旧引田町、現東かがわ市)で生まれる
- 1921(大正10年)年 福島小学校入学を機に名前をミツエから志津子に変える。音吉は米屋から風呂屋に商いを変える。
- 1927(昭和2年)年 宝塚音楽歌劇学校受験、身長が基準に満たず不合格、音楽部長の松本四郎に気に入られ、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に合格
- 1933(昭和8年)年 「秋のおどり・女鳴神」に出演
- 1934(昭和9年)年 「恋のステップ」でレコードデビュー
- 1935(昭和10年)年 芸名を「笠置 シズ子」とする
- 1938(昭和13年)年 「松竹楽劇団」に参加、帝国劇場の稽古場で服部良一と出会う
笠置シズ子と服部良一で昭和歌謡史の名コンビが誕生することとなる。 - 1938(昭和13年)年 「笠置シズ子とその楽団」を結成
- 1939(昭和14年)年 服部良一の尽力でコロムビア専属歌手となる
「ラッパと娘」をリリース、スヰングの女王となる。
八郎が丸亀連隊に入営、養母うめ亡くなり、養父音吉を引き取り三軒茶屋に住まわせる - 1940(昭和15年)年 松竹楽劇団2月公演「愛染かつら」に出演
- 1941(昭和16年)年 「松竹楽劇団」解散
戦争で亡くなった八郎のために「大空の弟」を作成(※但し資料はなし)
東宝映画「音楽大進軍」内で服部良一作曲の「荒城の月ブギ」が歌われる - 1943(昭和18年)年 眉目秀麗な青年の吉本穎右と交際開始
- 1944(昭和19年)年 吉本穎右と結ばれる
- 1945(昭和20年)年 東京大空襲で三軒茶屋の住まいが焼け、音吉が香川の引田に住む
戦後、日劇再開第一回公演「ハイライト・ショー」に出演 - 1947(昭和22年)年 吉本穎右、奔馬性(ほんばせい)結核で西宮の実家で逝去
娘が誕生し未婚の母となる
笠置 シズ子が服部良一に「センセ、たのんまっせ」とお願いして作成した曲「東京ブギウギ」が大阪・梅田劇場で初披露し大ヒットする - 1948(昭和23年)年 黒澤明映画「酔いどれ天使」でキャバレーの歌手を演じる
- 1949(昭和24年)年 高峰秀子と共演で「銀座のカンカン娘」に出演
- 1950(昭和25年)年 吉本穎右の母せいが亡くなる
- 1951(昭和26年)年
金子正則香川県知事の要請により香川大学設立募金の為「救援ブギ 春のさくら祭」公演
実父の友人である東大総長の南原繁と会う。陳平の父が漢学者であったり、鳴尾が由緒ある家の出身であり、また、陳平の母の和装の生徒で、裁縫上手で近所の娘に教えていたなど知っている限りを笠置シズ子に伝えた。 - 1957(昭和32年)年 「たよりにしてまっせ」を最後に歌手引退、女優業に専念
- 1960~1970年代、数々の映画、テレビ、芝居などに出演
- 1985(昭和60年)年 3月30日卵巣がんで逝去 「日劇時代は楽しかったね」が最後の言葉
戦前から戦後にかけ「ブギの女王」として一世を風靡した笠置シヅ子の半生の「音楽評伝」を、昭和のエンタテインメント史をチェック↓↓
笠置シヅ子がモデルになったヒロイン福来スズ子役:趣里さん
朝ドラ「ブギウギ」開始前のインタビューです。
福来スズ子は苦しいこともたくさんあるが、明るくまっすぐ進んでいくポジティブな子で、失敗しても反省して次に進む性格とのことです。もがいているところが鈴子らしいとのこと。
趣里さんは撮影だけでなく、服部先生のもと歌の稽古もしており、歌も楽しくなったとのことです。
ブギウギ今後のあらすじを吹き出しでネタバレ一覧!まとめ
2023年度後期NHK連続テレビ小説「ブギウギ」について、ネタバレリンクの一覧と主人公:福来スズ子のモデル:笠置シヅ子の父母や夫や子供と経歴を紹介しました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
FAQ:
朝ドラ「ブギウギ」はどんなドラマですか?
「ブギの女王」といわれた笠置シヅ子をモデルにしたフィクションのドラマです。
朝ドラ「ブギウギ」の題の由来は何ですか?
「ブギウギ」は音楽リズムの一種で、「多くの人を明るく元気にしたい」という思いが込められています。
朝ドラ「ブギウギ」ヒロインは誰ですか?
福来スズ子がヒロインです。趣里さんが演じます。
笠置シヅ子さんの代表作は何ですか?
1947年に発表した「東京ブギウギ」です。作詞:鈴木勝、作曲:服部良一です。
笠置シヅ子さんは何歳ですか?
昭和60年3月30日、70歳で逝去しました。
笠置の読み方は?
「かさぎ」と読みます。
笠置シヅ子さんは紅白歌合戦に何回出場しましたか?
笠置シヅ子さんは紅白歌合戦に4回出場しています。歌った曲名は以下の通りです。
- 1952年1月第2回紅白歌合戦:買い物ブギー
- 1953年1月紅白歌合戦:ホームラン・ブギ
- 1953年12月:東京ブギウギ
- 1956年12月第7回:ヘイブギウギー